不要不急

2021年5月21日

今、一番、不要不急なことをしよう!とういことで、愛知県漂流を読んでみる。

世界一正しいコーヒーの淹れ方

2019年7月18日

コーヒーを飲みながら、こう考えた。
なぜ、こんなにも息苦しい世の中に、なってしまったのだろうか。
インターネットが始まった頃、社会は、だれもが自由に発言する機会が与えられ、闊達な議論を交わし、自立した精神が通い合う、そんな場所になる、はずだった。

ところが、どうだ。
間違ったことは、すぐに訂正され、より正確さが問われる。
言語はより制限され、あたかも正解が一つしかないように振る舞われている。
同調の圧力はいよいよ増し、はみ出し者は沈黙をつらぬく。
残された者は、正論をふりかざすか、論点をずらした第三の意見をひねりだすしかない。
そうでもしなければ、あふれた情報は精査されることなく、間違いは野放しのまま。
ひとつの情報では信じることができず、検索してぐるぐる回れば、何度も同じページにつきあたり、それ以上の情報は、ぱったりと途絶える。
誰かの意見に正面からぶつかれば、私の言葉は、誰かを傷つけるかも知れないし、一つの意見は、ひとつの意見を否定することにもなる。私は、誰にも否定されたくはないし、誰も否定したくはない。黙りこむことで、自らの保身をはかり、縮こまることで、平穏と安寧と退屈な日々を守っているのかもしれない。

これが、正しい生き方なのだろうか。誇れる、正しい行為なのだろうか。
私は、私の飲むコーヒーの一杯にさえ、疑問を持つようになった。
そして、ふたたび、こうしてキーボードをたたき始めたのだ。

愛知県漂流だったころ1〜八画文化会館vol.6 特集:レトロピア岐阜 勝手に新刊発売記念企画〜

2018年5月20日

また、愛知県に戻ってきてしまった。
あのころ私を支配していたものは何だったのか、何に突き動かされて街を奔走していたのだろうか。

今、こうして、この街に再び戻り、もう一度、暮らしをはじめようとしている。
違和感はいずれなくなるだろう。これまで、どこで暮らしていてもそうだった。

やがて、慣れる。それまでのガマンだ。
歯医者で銀歯を詰めるだろ、あの感じだ。
マスクをした歯科衛生士のお姉さんに「違和感ないですか?」と問われ、すごく違和感があるのに、何も言えずにいる。
しかし、そのままにしていれば、やがて慣れる。
意識しなければ、黒く錆びた銀製の借り物の歯であることなど忘れて、自分の一部になっているだろう。

サザエさんのカツオの声にも慣れた。
以前は違う声だったことは確かで、それに違和感を感じたことも覚えている。
だけど、今はもう以前がどんな声だったのかも忘れてしまった。
ぼくには関係のないこと。なんの影響もないことだろう。

何かが違う。その何かはもう思い出されることもなく、いやがおうでも、日々は流れていく。
いままで、そうして生きてきた。

だけど、だけど、なんだ。
ぬぐいきれない違和感。これに、もう一度向かいあってみようと思う。
もしかしたら、変わったのは、街でも時代でもなく、私自身なのかもしれない。

新規連載:愛知県漂流だったころ
八画文化会館vol.6 特集:レトロピア岐阜
勝手に新刊発売記念企画としてスタートします。

note,はじめました。

2017年6月4日

noteというサイトに登録しました。
八画文化会館のマガジンを読むためです。

はじめて、投稿もしてみました。
note.mu/a_hyouryu
#愛知県漂流というハッシュタグをつけました。

有料配信ができることが、一番の魅力でしょうか。
デザインがシンプルに固定されていて、レイアウトをきれいにみせてくれます。
ごちゃごちゃ散らかしていると、看護婦さんがきて、きれいに片付けなさいと勝手に掃除してくれそうな、病院的な清潔さがあります。

マンガにしよう。

2017年5月19日

 どう伝えたらいいんだろうか。
 文字の力だけでは弱い。まず興味をひかない。ぼくだったら読まない。
 アイコンとコピーが必要だ。できるだけキャッチーなやつ。
 よし、マンガだ。

 モヤモヤした思考回路の中で、引っかかった糸口。
 編集部再興として、まず、マンガ作りをはじめることにした。

誰もが世界を編集しながら生きている。

2017年5月19日

 同じことを話してみても、面白く伝えられる人間と、そうでない人間がいる。とらえ方と、伝え方が違うのだ。
 人間は誰でもが編集者だ。おもしろいと思えば興味を持ち、つまらないと思えば切り捨てる。興味がないものは、視覚にすら入っていない。意識のある無しに関わらず、誰もが世界を編集しながら生きている。
 人間個人を見た場合、第一段階の編集は、外部から入る情報をどうとらえるか。これは、視覚、聴覚などの感覚的、肉体的な個体差に加え、今まで取り入れてきた知識の蓄積からくる認識の違いによるものが大きい。
 第二段階として、どう伝えるか、がある。めちゃくちゃおもしろい!と思ったことを、そのまま伝えたい。だけれど、それが感情であるがゆえに、そのまま伝えることはできない。言葉に置き換えるなどして、状況を説明することで、自分以外の人にも、同じ感情が湧き上がるよう、再構築しなくてはいけない。そのためには、捉えた情報を分析し、解説しなくちゃなんない。自己分析も必要だ。
 その意味で、編集は、編集者個人のパーソナリティが本質的に求めれられる。
 集めたものの中から、何を選び、何を捨て、どう並べるか。それだけで、編集としては十分なのかもしれない。

ときどき売れます、電子書籍。

2017年5月19日

 Amazonから、チャリーンと小銭が振り込まれることがある。電子版雑誌愛知県漂流が売れたのだ。売上を全部合わせたって、年間のサーバーの維持費用に達しないのだけれど、今もまだ売れ続けている。これは、うれしい。
 紙の雑誌を電子書籍の形にして売る。今は、最終号1冊だけだ。これを2冊、3冊と増やしていけば、いい感じになりそうだ。そんな予感がしている。よし、やってみよう。
 

編集やろう!

2017年5月19日

 愛知県漂流は、編集部なので、編集をやることにしました。Google先生に聞いたら、編集とは諸種の材料を集め、書物・雑誌・新聞の形にまとめる仕事。また、その仕事をすること。だって。
 うんうん、いいじゃん、それやろう!編集部が行きたいところへ行き取材するってのが、愛知県漂流だったじゃないか。取材って呼べばなんでもやっていいっていう感じ、あったよね。
 まずは、材料集めだな!ぼくは、取材の旅へ行くとこにしたのです。

やっぱりイラストレーターじゃないな

2017年5月19日

 つくる側にいた方が、おもしろい世の中ってのは、その通りだけど、やっぱりイラストレーターじゃないな、と思った。
イラストレーターといえば、みうらじゅん、安齋肇、リリーフランキー、みんな あやしげなおじさんたちだ。本人たちのキャラクターばかりが目立って、実際のイラストの印象が薄い。ほとんどない。イラストレーターという認識すらない。役者じゃないの?ぐらい。
 和田誠なら いいかなぁって思ったけど、うるさい奥さんとの暮らしは大変そうだ。
 愛知県漂流の酒井編集長がおもしろがって、ぼくの絵をいじってくれたのは嬉しかったけれど、もとより才能もなさそうだ。
 やっぱりイラストレーターじゃないな。
 さぁて、どうしよっかなぁ。

twitterアカウントにやっとログインできました

2017年5月19日

パスワード忘れちゃって、ログインするのに苦労しました。


愛知県漂流
@ahyouryu
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ひょうりゅうくん
@hyouryukun
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ツイート数もフォロー数も全くやる気が感じられません。
ひょうりゅうくんはロボットで愛知県漂流の名言をつぶやかせていましたが、サーバーに負担がかかると、停止されたまま。