誰もが世界を編集しながら生きている。

 同じことを話してみても、面白く伝えられる人間と、そうでない人間がいる。とらえ方と、伝え方が違うのだ。
 人間は誰でもが編集者だ。おもしろいと思えば興味を持ち、つまらないと思えば切り捨てる。興味がないものは、視覚にすら入っていない。意識のある無しに関わらず、誰もが世界を編集しながら生きている。
 人間個人を見た場合、第一段階の編集は、外部から入る情報をどうとらえるか。これは、視覚、聴覚などの感覚的、肉体的な個体差に加え、今まで取り入れてきた知識の蓄積からくる認識の違いによるものが大きい。
 第二段階として、どう伝えるか、がある。めちゃくちゃおもしろい!と思ったことを、そのまま伝えたい。だけれど、それが感情であるがゆえに、そのまま伝えることはできない。言葉に置き換えるなどして、状況を説明することで、自分以外の人にも、同じ感情が湧き上がるよう、再構築しなくてはいけない。そのためには、捉えた情報を分析し、解説しなくちゃなんない。自己分析も必要だ。
 その意味で、編集は、編集者個人のパーソナリティが本質的に求めれられる。
 集めたものの中から、何を選び、何を捨て、どう並べるか。それだけで、編集としては十分なのかもしれない。

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