挨拶2010-復活に向けて

□□□■□ 愛知県漂流からの挨拶 2010 □■□□□

どうも、はじめまして。愛知県漂流編集部の遠藤です。

「愛知県漂流」が始まったゼロゼロ年代、「雑誌」は「新聞の即時性」と「趣味嗜好のカテゴライズ性」を併せ持った媒体として、その存在意義を獲得していました。その有用性から、情報の商業化、ビジネスモデルの構築と大きな価値を生む媒体として利用され、同時に捨てられてきました。

 また現在に至る10年は、グーテンベルクの印刷機の発明以来発展を続けてきた紙媒体市場成長の終焉を目撃した10年でもありました。インターネットの技術普及によってもたらされた構造改革は、情報のアーカイブス化と文化のフラット化をより明確なものとしました。保存データ容量の増大により情報は蓄積され、蓄積されたデータは検索技術の向上により掘り起こし、再閲覧が容易に可能なものとなりました。

 時系列を越えた知覚範囲の拡大は、サブカルチャーやアンダーグラウンドカルチャーと呼ばれた文化構造が、もはやアンダーグラウンドであることを無意味にし、その名の持つ意味を形骸化しました。

 大手出版社が広告主とタイアップして築き上げたビジネスモデルが崩壊をはじめたこの10年、時期を同じくして、商業の媒体であった雑誌構造に反旗を翻すことに端を発した雑誌「愛知県漂流」はまた、商業によって滅びました。

 しかし「表情を変えてゆく街、流されていく時代に対し、ジャーナリスティックな視点と評価軸、それに編集部の主観と好奇心を持ち込んで、読者の好奇心を刺激し、新たな意味を発見してゆくべきだ」という宣言と、その精神は決して滅びておらず、現在いよいよ必要とされるべきものではないかと考えています。

 そして、新たなインディヴィジュアルモデルを再構築すべく、もがき、あがき、奔走したいと思っています。

 よ〜し!やるぞー!

遠藤文庫
 ―愛知県漂流 復活に向けて 春 2010

コメント / トラックバック1件

  1. 酒井竜次 より:

    すばらしい。

    理念は、決して古くならないね。

    頑張ろうじゃないか、
    いっちょやってやろうじゃないか!
    と、思っております。

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